【火山列島】硫黄島・南硫黄島・北硫黄島【小笠原諸島】

南硫黄島の航空写真 小笠原諸島

火山列島の成り立ちや特徴をまとめていきます!

火山列島の概要

火山列島とは

火山列島(硫黄列島)は、北硫黄島、硫黄島、南硫黄島の南北に連なる3島から構成されています。
地震計・空振計・GNSS(衛生測位システム)・カメラなどを設置して関係機関の協力の下、気象庁による硫黄島の火山活動の監視・観測を行われています。

400名余りの海上・航空自衛隊員が自衛隊基地に駐屯し、基地業務の他、島内の維持や気象業務、災害派遣(小笠原の急患輸送)などを行います。また、日本とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約に基づき、滑走路などを米軍と共同使用し、NLP(夜間離発着訓練)といった訓練も実施されています。

位置

火山列島(硫黄列島)は、北緯24度10分~30分の間の富士火山帯上に位置しています。東京から硫黄島までの距離は約1,250km父島からは約280kmです

硫黄島は緯度的には、台湾北部とほぼ同等なところに位置し、気温は海流の関係でほぼ同緯度にある台湾台北市よりも高く亜熱帯海洋性気候とよく言われており、ケッペンの気候区分では熱帯気候です。

環境

情報のある硫黄島を中心に解説します。しかし、気象庁によるデータがないため、小笠原村公式サイト 及び 硫黄航空基地によるNASANOAAの最新のデータをまとめたWetherSparkの情報を参考にしました。WetherSparkの情報は観測年度及びデータソースが明らかであったため、当サイトではこちらの情報をより活用します。

以下は小笠原村公式サイトの記載を参考にした情報です。

硫黄島の最高気温は40℃に近い日もあり、6月中旬~10月上旬までは30℃を越える日が多く、最低気温も一年で一番寒い2月でも12℃前後までにしかなりません。
夏期は短時間で多量の降水量があるスコールが多く、6月~11月の降水量は、12月~翌年5月の降水量の約2倍ですが、平均年間降水量は約 1,200 mmであり、東京の降水量をやや下回っています。

以下はWetherSparkを参考にした情報です。

硫黄島における夏季は、1 日平均の最高気温で29°Cを超える期間が4ヶ月半前後続き、最も暑い月は7月で、平均の最高気温は30°C、平均の最低気温は27°Cです。冬期は、1日平均の最高気温が24°C未満の期間が3.0か月程度続き、最も寒い月は2月で、平均最低気温は19°C、最高気温は22°Cになります。

参考文献:硫黄島航空基地 における年間の気候および平均気象 WetherSpark.com

また上記の通り、硫黄島航空基地で測定された降雨量は月によって大きく変動します。 最も降雨の日が多い月は 11.7日/月 の8月であり、平均降雨量は 132 mm ですが、最も降雨の日が少ない月は 4.5日/月 の3月であり、平均降雨量は 31 mm ほどしか降りません。5月は 11.3日/月 であり、梅雨の時期も雨が多くなります。

月ごとの詳細は以下の通りです。これらから気候区分を読み取ります。

硫黄島航空基地での気温における最寒月平均気温が1-2月の平均20℃、19~22℃の間で推移し、基準の18℃を超えている*4ため、熱帯気候(A区分)です。

また最少雨月降水量60mm未満かつ63.93mm(=100-0.04×年平均降水量=31mm)以下である*4と言えるため、熱帯気候の中でも冬に乾燥する地域が属するサバナ気候(Aw気候)と言えます。

月合計だけでなく、月内の変化も表示するため、各日付を中心とした 31 日間のスライド累積降雨量が示されています

したがって、硫黄島の気候は亜熱帯海洋性気候と言われています。ケッペンの気候区分では熱帯気候区のサバナ気候です。

戦前は、各家庭に設けた「天水槽」に雨水を貯え、飲料水として使っていたそうです。
冬は、主に北からの風が吹き、春から夏にかけては東から南の風が吹きます。年間を通じた平均風速は6m/秒程度です。例年、台風は年間5~10個程度が硫黄島周辺を通過していて、東~南東から接近し西に抜けることがほとんどです。

火山列島の詳細

火山列島を構成する硫黄島・北硫黄島・南硫黄島のそれぞれの特徴を説明していきます。

硫黄島

硫黄島の概要

画像参照:硫黄島全景 気象庁

別名は中硫黄島と呼ばれています。

北硫黄島は東京都23区のほぼ南、太平洋上約1,250km、父島から約280km距離に位置し、面積が5.52km2 で北東-南西方向に8.3km、幅が4.5km 最も狭い千鳥ヶ浜南部では約800mの島です。

島の中北部にある元山は台地状で標高115m、南端に急傾斜の火砕丘の摺鉢山標高170mで、元山と摺鉢山とは未固結礫層で構成された標高70m以下の千鳥ヶ原という低い台地でつながっています。

(島の位置:北緯24度47分、東経141度19分)

硫黄島(別名、中硫黄島)、北硫黄島、南硫黄島とともに火山列島(硫黄列島)を構成しています。南端の摺鉢山と中北部の元山の二つの火山を、千鳥ヶ原という台地でつないだ北東に広がる扇形を成している島は、基底の直径40km、海底からの比高2,000m という巨大な海底火山の海面上にあらわれた山頂部にあたります。

その山頂部は、直径約10kmのカルデラを埋積した後カルデラ火山でできています。そして、元山は浅海底に流出・堆積した溶岩・火砕岩が隆起・陸化した部分、摺鉢山は陸上火山の溶岩と火砕丘によって構成されています。岩石は福徳岡ノ場とともに伊豆諸島では特異な粗面安山岩であり、構成岩石のSiO2 量は54.6~60.5wt.%です。

摺鉢山は、横から見ると噴火口から煙が出てパイプのように見えるから、別名、パイプ山とも言われています。標高は170mで硫黄島の最高峰が、米軍の激しい艦砲射撃や侵食により、海側が崩れてきています。
そして、山頂には『日本戦没者顕彰碑』、『特攻隊慰霊碑』、『海兵隊上陸記念碑』等が設置されています。

2007(平成19)年に「硫黄島」の呼称が「いおうとう」に変更されました*2。

硫黄島の歴史

16 世紀中頃にはスペイン船により望見されており、「ヴルカーノ(火山島)」と呼ばれました。またその後、 18 世紀後半イギリスの探検隊に見出され、「サルファー・アイラント(硫黄島)」と名づけられました。

1891年(明治24年)9月 勅令により日本領土に編入され、東京都小笠原島庁の所轄となり、「北硫黄島(洋名サン・アレッサドロ島)」「硫黄島(洋名サルファー島)」「南硫黄島(洋名サン・アグスティン)」と命名され、これに先立つ1889年(明治22年)6月には、父島の住民田中栄次郎が、父島で建造した帆船南洋丸にて十余名とともに、鮫漁と硫黄採取を目的として渡航したことから硫黄島の開拓が始まっています。

硫黄島は、その名の通り、硫黄を産出されていて、硫黄の採掘を目的として1892年(明治25年)から本格的に硫黄採掘事業が開始し、その後、主産業は平坦な土地と地熱を活かした農業に重点が移っていきました。砂糖キビ、コカ、レモン草と情勢の変化に伴い主要な作目は変わっていきましたが、農業による繁栄とともに島に住む人口も増加していきました。 1940年(昭和15年)4月硫黄島に村制が施行(北硫黄島はその後も小笠原支庁直轄)された年の住民は、硫黄島で1,051人、北硫黄島で103人でした。

1941年(昭和16年)12月8日太平洋戦争勃発し、大戦の激化とともに、豊かで平和な地は本土防衛の最前線となりなりました。そのため、1944年(昭和19年)住民は強制疎開を余儀なくされ、父祖の地は玉砕の島となりました。 1991年(平成3年)3月 小笠原村により、「硫黄島の日本領土編入百年にあたり、島の開拓に勤しんだ先人の功績を讃えるとともに、いまだにかなわぬ帰島の夢を託し」て、硫黄島に碑を建立されました。

現在、自衛隊が管理する航空基地が置かれ、一般の人の島内への立ち入りは制限されています*3

地質的特徴

戦前の摺鉢山の標高は167mありましたが、現在は隆起により170mになっています。国土地理院の連続観測によると、硫黄島の隆起を示す海岸段丘や断層崖があり、現在もなお活発な隆起活動地殻変動により異常な速さで隆起が続いています

島内は地熱が高く、多くの噴気地帯、噴気孔があり、噴出する火山性ガスにより特有の臭いが立ち込めています。2012年2月~5月にかけてミリオンダラーホールと呼ばれている旧火口でごく小規模な水蒸気爆発が発生するなどといった、島内各所で小規模の水蒸気爆発を起き、石や泥が飛散しています。

北東部の台地 中央部の元山付近には硫黄ガスの噴火口があり、戦前にはレモングラスオイルの抽出に活用されていました。硫黄島に住む人々の大部分はこの元山とその台地の周辺に居住していました。

2007年(平成19年)12月1日に火口周辺警報(火口周辺危険)を発表しました。また、平成24年4月27日以降の火山活動に伴い、2012(平成24年)4月29日に火山現象に関する海上警報が発表されており、その後、警報事項に変更はありません。

気象庁が発表した月間火山概況によると、硫黄島ではこれまでにも 1981 年から 1984 年(防災科学技術研究所等の水準測量と三角測量による)や2001 年から 2002 年に最大1mを超える隆起など顕著な地殻変動が観測されており、隆起がみられていた期間中の 1982 年と 2001 年には小規模な噴火が発生しています。
一方、噴火前に必ずしも地震活動が活発化するとは限らず、以下の事象以外のほとんどの噴火で事前に地震活動の活発化が認められませんでした。

地震観測が開始された 1976 年以降で見ても、表中で発生・推定される事象以外のほとんどの噴火で事前に地震活動の活発化が認められていません。

2022 年7月上旬から8月上旬にかけてと 10 月上旬及び 12 月上旬に翁浜沖で噴火が発生し、これらの噴火によりマグマが噴出したと気象庁によって推定されています。

1982年11月阿蘇台陥没孔
2001年9月翁浜沖での噴火
2012年4月29~30日島の北東沖の噴火
2018年9月
2021年8~9月
2022年7月~8月
2022年10月・12月
翁浜沖の噴火
火山活動解説資料(硫黄島) 気象庁

2022 年7~8月・10 月・12 月に海上自衛隊航空基地隊によって確認された翁浜(南海岸)沖での噴火の際は、翁浜の海岸線に多少の変化は認められたものの硫黄島周辺の海面や砂浜の状況に火山活動の活発化を示唆するような変化は見られていません。

北硫黄島

北硫黄島の概要

北硫黄島 北側~西側 海上保安庁 撮影をもとに色調調整

北硫黄島は東京都23区のほぼ南、太平洋上約1,170kmに位置し、面積が5.52km2 で東西方向に2.1km 南北方向に3.3km 周囲が8.0kmの島です。
沿岸は一部を除いて断崖で、山峰は北部の清水峰が665m、南部の榊ヶ峰が802mで南北に二分されています。

(島の位置:北緯25度26分、東経141度17分)

北硫黄島の山頂付近に噴火口はなく島での噴火の記録はありません。また、島は地質侵食の進んだ玄武岩の成層火山を成しています。そして周辺海域から普通輝石ピジョン輝石安山岩やカンラン石斜方輝石玄武岩等が採取されています。

北硫黄島の西側にはほぼ円形のカルデラ状の凹地が存在し、北硫黄島はカルデラ形成以前の山体である可能性があると考察されています。このカルデラの西側には水深100~160mの平坦面が拡がっており、最終氷期に形成された島棚であると想定されています。

カルデラの中には、後カルデラ火山として北硫黄島の北ノ岬の西方約5kmに最浅水深14mの噴火浅根があり、1880年に噴火の記録が残っています。

画像参照:北硫黄島 浅所 海上保安庁

北硫黄島 南西側 海上保安庁 撮影をもとに色調調整

北硫黄島では、1899年から着手された開墾により、サトウキビ栽培を主とした農業や貝ボタンに加工するためのマルサザエ採取、ムロ節の製造などの産業が行われていました。

8世紀~15・16世紀頃に残されたと見られる祭壇や墓地跡、石器や土器などの生活用品が発見されたことにより、現在に続く発見・定住の歴史以前にも小笠原諸島には人が住んでいたことが証明されました。また、発見された遺跡や遺物は明らかに本土の縄文・弥生文化によるものとは異なっていることから、北マリアナ諸島やグアム島が属するミクロネシア文化圏の影響を受けているものと推定されています。

北硫黄島の歴史

北硫黄島は、1899年(明治32年)に石野平之丞によって開墾が着手され、1902年(明治35年)には北硫黄島仮学校が開校しました。
1920年(大正9年)、石野平之丞より東大教授に磨製石斧三個が献上され、返還後における遺跡発見の伏線となりました。昭和15年(1940年)4月に硫黄島では村制が施行されましたが、北硫黄島はその後も小笠原支庁直轄でした。

1904年(明治37年)の人口は156人に達しており、1944年(昭和19年)の戦争による疎開当時には、17世帯90人が居住していましたが、戦後は無人となり、アメリカ合衆国から日本に返還された1968年(昭和43年)6月26日以後も無人島のままとなっています。

1991年(平成3年)に東京都の遺跡調査団により、8世紀~15・16世紀頃に残されたと見られる祭壇や墓地跡、石器や土器などの生活用品が発見されました。
これらの遺跡により、小笠原諸島には現在に続く発見・定住の歴史以前にも人が住んでいたことが証明され、本土の縄文・弥生文化と異なることからミクロネシア文化圏の影響を受けているものと推定されています。このことから、マリアナ諸島ー小笠原諸島ー伊豆諸島ー日本本土への、海上文化伝播ルートがあったのではないかという、壮大な仮説が浮かびあがっています。

そして、2011年(平成23年)に南硫黄島と共に世界自然遺産に登録されました。

南硫黄島

南硫黄島の概要

南硫黄島航空写真:海上保安庁

南硫黄島は東京都23区のほぼ南、太平洋上約1,300km、小笠原諸島父島から約330kmの距離に位置し、面積が3.54km2 で周囲が7.5kmの島です。

周囲は険しい絶壁を形成していて、都内島しょ部で最高峰 標高916m の円錐形の火山島です。

【大島三原山 764m、三宅島雄山814m、八丈島八丈富士854m、父島中央山318m、母島乳房山463m】

(島の位置:北緯24度14分、東経141度28分)

南硫黄島の北東約5kmには海底火山が存在し、これまで何度か新島を形成する噴火が記録されています。島は、全く人為の影響を受けていないとい言ってよく、自然植生などは保持され、海鳥の繁殖地ともなっています。

南硫黄島の歴史

1889年(明治22年)、南硫黄島の海岸において漂着者3名が発見されて生還したため、1895年(明治28年)より硫黄島へ来航する定期船は、年に一航海だけ南硫黄島まで延航し、島の周囲を回って漂着者の在島の有無を確認するようになりました。


1972年(昭和47年)、文化財保護法による国の天然記念物(天然保護区域)に指定
1975年(昭和50年)、全島が自然環境保全法による原生自然環境保全地域に指定(国立公園区域除外)
2007年(平成19年)、土地は国有林、小笠原諸島森林生態系保護地域に設定
2011年(平成23年)、北硫黄島と共に世界自然遺産に登録

参考文献

*1 硫黄島 小笠原村公式サイト
*2 硫黄島 国土交通省 気象庁
*3 日本の火山 vol.35 硫黄島 [東京] 内閣府政策統括官(防災担当)
*4 硫黄島航空基地 における年間の気候および平均気象 : © WeatherSpark.com
またWetherSpark.comによる硫黄島航空基地のデータは以下の通りで参考されています。

硫黄島航空基地には、当ネットワークに含まれる分析期間中に信頼性の高いレポートを行った測候所があります。 入手可能な場合は、この測候所から気温および露点測定の履歴データを直接取得しています。 これらのレコードは、NOAA の時間当たりの統合地表データセットから入手したもの、および必要に応じてICAO METAR レコードを参照したものです。ネットワークには、この場所から 200 キロメートル内に他の測候所はありません。 したがって、この測候所の測定値が欠落、または誤っている場合は、NASA のMERRA-2 最新再解析データをフォールバックとして使用し、それをこの測候所における代表的な季節変動および 1 日の変動ならびに広域 MERRA-2 再構築値を基に調整します。

降水量のデータは量、降水量、風速および風向き、大要束などのその他すべての気候データは、NASA のMERRA-2 Modern-Era Retrospective Analysis からのものです。 この再解析は、最先端の全地球気候モデルにおける広範にわたる各種測定値を組み合わせ、全世界を 50 キロメートルのグリッドに区分した 1 時間当たりの気候履歴を再構築したものです。

「NOAA の時間当たりの統合地表」「ICAO METAR レコード」「NASA のMERRA-2 最新再解析データ」「NASA のMERRA-2 Modern-Era Retrospective Analysis」「© WeatherSpark.com

Solverwp- WordPress Theme and Plugin

タイトルとURLをコピーしました